
|

| HOME>嬉野茶の歴史 |
|
|
|売茶翁と嬉野茶ページへ|鍋島藩の嬉野茶ページへ| |
| 嬉野茶の歴史 |
|
 |
|
茶栽培の発祥の地、霊仙寺 |
|
|
日本のお茶栽培は、1191年臨済宗の開祖栄西禅師が佐賀県の東脊振の山腹に宋の国から持ち帰った種を蒔いたのが始まりです。栄西は明恵上人に3粒のお茶と栽培や製造方法を伝授。これが後の宇治茶につながり、また駿河(静岡)にも広がりました。 |
|
 |
|
 |
|
釜炒り茶発祥の地、嬉野市 |
|
|
陶工「紅令民」が明の釜を持ち込み、炒葉製茶法を伝えたのが嬉野式の釜炒り茶の始まりです。 |
|
 |
|
 |
|
鎮西町名護屋城にあった豊臣秀吉の茶室 |
|
|
桃山時代、名護屋城に豊臣秀吉は、わび・さびを追及した簡素な茶室を建てました。博多商人の日記に「お座敷四畳半、柱もその外もみな竹なり」との記述が残っています。 |
|
 |
|
 |
|
鍋島藩の茶道「薮内流」 |
|
|
関が原の戦いで豊臣方についた鍋島藩の御家取り潰しを救ったのは西本願寺と円光寺、そして京都の茶商上林之人です。鍋島藩はお礼として、上林を藩のおかかえの「永世用達」茶所にし、また、西本願寺の推薦する茶道薮内流を藩の流派に決めました。 |
|
 |
|
 |
|
うれしの茶の父、吉村新兵衛 |
|
|
吉村新兵衛は嬉野町不動山の山林を開拓して茶樹の栽培を奨め、茶業の発展に努めました。不動山の「大茶樹」は吉村新兵衛が植えたと伝えられ、国の天然記念物に指定されています。 |
|
 |
|
 |
|
佐賀県生まれの、煎茶の祖「売茶翁」 |
|
|
「ただ飲みも勝手、ただよりまけもうさず」。京都で日本で初めての茶店「通仙亭」を開き、庶民に煎茶を広めた売茶翁(ばいさおう)は佐賀県蓮池町の出身です。当時、位の高い人の飲み物だったお茶を、広く世間に流行させました。 |
|
 |
|
 |
|
江戸時代にお茶の輸出 |
|
|
嬉野茶は、横浜開港により日本茶輸出が正式に始まる100年も前に、オランダ商社を通じて、長崎から輸出されました。 |
|
 |
|
 |
|
長崎の女性貿易商、嬉の茶を世界に |
|
|
大浦慶はオランダ人テキトル氏を通じ、嬉の茶の見本をイギリス、アメリカ、アラビアに送り宣言しました。そのPRのかいがあり、イギリスから60トンの大量の茶の注文を取り付けることに成功しました。 |
|
 |
|
|
|
栄西が中国から佐賀に持ち帰ったお茶。 |
|
|
お茶を普及するため、その効用を綴った『喫茶養成記』は、20世紀になって次々に科学的に実証されてきました。おそるべし栄西。そひて、現代の生活習慣病を予想するかのように、日本型食生活にしっかり取り入れられたお茶。先人の知恵にただただ敬服するばかりです。 |
|
|
|
| 『鍋島藩の嬉野茶』 |
| 嬉野茶の条件 |
|
佐賀県または長崎県において生産された原料茶を使用し仕上げ加工した茶を統一銘柄「嬉野茶」とする。 |
| 鍋島藩の嬉野茶 |
|
鍋島藩が支配した佐賀県内の限られた地域で生産された原料を使用し仕上げた茶を「鍋島藩の嬉野茶」とする。 |
|
鍋島藩の嬉野茶のご紹介>>>こちら
|
|▲トップページへ|ホームに戻る|
|
|